#映画監督~市川準監督作品「トキワ荘の青春」の思い出

市川準:生涯で21本の映画を残した監督であり、80年代より第一線で活躍し続けたCM演出家。2008年9月逝去、享年59歳。
■ 映画監督 市川準が活躍した時代背景
1980~90年代、日本映画界は斜陽産業と呼ばれ低迷期でした。テレビの普及、その後に続くビデオの普及により映画館は減少していきました。ちょうどその時代、わたしはあるインドペンデント系映画会社で映画配給のプロデューサーをしていました。映画配給と言っても、映画館の興行収入だけで採算が取れる作品はひとにぎりのアメリカメジャー作品に過ぎず、ほとんどがビデオ配収とテレビ権セールスの売上を狙うものばかりでした。ですから映画配給はそのための宣伝プロモーション的な位置づけでした。TSUTAYAやゲオが台頭していた時期で、1本でも多くビデオレンタル作品として導入させようと努力していたわけです。映画館にかけるということは、劇場公開作品というクオリティブランドを与え付加価値を上げることであり、そのことがビデオ本数増加、テレビ権の高値に直結し、うまく行けば結果的に総合的ヒット作品になるわけです。この頃製作された日本映画は低予算の小作がほとんどで、どれも興収を望めないものばかりではありました。しかしながら、この日本映画低迷の時代があったからこそ、現代の日本映画の復興が起きたとも言えます。なぜなら、大手映画会社の助監督スタジオ制が完全に廃止となり、異業種の中から映画監督が輩出されるようになっていったからです。わたしが思うに、その先駆者が大林宜彦監督であり、後継者が市川準監督だったのです。ふたりはともにTVCM出身ということもあり、共通点も多い気がします。他にも伊丹十三、北野武、岩井俊二・・・次々と新進気鋭の映画監督が誕生していきました。
■ 市川準監督作品「トキワ荘の青春」の思い出

1995年、TSUTAYAのグループ会社がプロデュースする「トキワ荘の青春」という映画の劇場配給を手伝うことになり、市川準監督と初めてお会いしました。多くの有名漫画家を育んだトキワ荘の青春群像のドラマでした。何度か撮影現場に行き、配給プランや宣伝の打合せをさせてもらいました。プロモーションで一緒に北海道の夕張ファンタスティック映画祭にも参加させてもらいました。市川監督はいつも物静かで、話好きじゃないと言いながらもひとつひとつ丁寧に話をされる、内に秘めたパワーを感じる方でした。夕張でも女優の桃井かおりさんはじめ多くの有名人の方々が食事会に同席され、さすが皆に尊敬され愛されている監督なのだなぁと思った次第でした。思えば「トキワ荘」のキャスティングも凄く、当時それほど有名ではなかった古田新太、阿部サダオ、生瀬勝久などの面々で、他の市川作品にキャスティングされた俳優も含め、市川監督の新人を発掘する才能は天才的でした。(市川作品に起用されて開花したとも言えますが・・・・・・)
日本映画史に残る偉大な映画監督のひとりとして、若くして逝去された市川準監督に感謝の意をこめて、わたしの思い出をブログに書かせて頂きました。
※下記:公式HP http://www.ichikawa-jun.com より
映画「トキワ荘の青春」
公開日:1996.3.23 上映時間:110分
製作・配給:カルチュア・パブリッシャーズ 製作協力:オプトコミュニケーションズ 近代映画協会
【スタッフ】プロデューサー:塚本俊雄、里中哲夫 製作総指揮:増田宗昭、寺尾和明 脚本:市川準、鈴木秀幸、森川孝治 撮影:小林達比古 美術:間野重雄 編集:渡辺行夫 録音:橋本泰夫 スタイリスト:下田眞知子 音楽:清水一登、れいち 原案協力:梶井純、藤子不二雄A、丸山昭、手塚治虫、石ノ森章太郎 助監督:森宏治
【出演】本木雅弘、鈴木卓爾、阿部サダヲ、さとうこうじ、大森嘉之、古田新太、生瀬勝久、翁華栄、松梨智子、北村想、安部聡子、土屋良太、柳ユーレイ、きたろう、原一男、向井潤一、広岡由里子、内田春菊、時任三郎、桃井かおり
★ロッテルダム国際映画祭招待 ★キネマ旬報ベスト7位

映画になった漫画家たちの青春。昭和30年代、漫画の神様、手塚治虫が住み、彼に憧れ明日を夢見る若い漫画家、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄らが青春時代を過ごした実在のアパート“トキワ荘”。いまや伝説となったトキワ荘を舞台に、のちに漫画界の重鎮的存在になる彼らの、漫画にすべての情熱を注いだ若き青春時代を描く。
【市川準監督コメント】
「そこの前を通る度に、なにか懐かしさでほっとしてしまうような古い木造モルタルアパートが近所にあったのですが、2年前のある日、出張から帰ると一瞬にして取り壊され消えていた。その瞬間、そこに暮らしていた慎ましい人々も一緒に消えてしまったようなとても寂しい気がしたんですね。アパートの映画を撮りたい、と思ったのはその時でした。そして「トキワ荘」を僕なりに再発見したわけです。そして調べれば調べるほど僕向きの題材だと思えてきました。あまりにも自分の好きな世界だったんで気合いが入りすぎたくらいですが、そういう気合いが、色んなツキをよんで、実現した映画のような気がしています」(パンフレットより)
もっともっと市川準監督の作品が観たかったという思いが溢れてきます。映像から醸し出される空気感は、何とも言えない「透明感」のようなものがありました。それと独特のドラマ展開のリズムは、気持ちよく感じる人には「観ごごち」(こんな言葉があるかどうかわかりませんが)の良いものでした。それらが市川準監督ファンがいう「市川ワールド」と呼ばれるものだったとのだと思います。
アメリカにコッポラ、ルーカス、スピルバーグが登場したように、日本では大林宜彦、市川準、岩井俊二が登場したと、わたしの勝手な私見があります。(インドペンデントからという意味において)彼らが登場して以来映画業界が変わって行きました。21世紀になって今の映画製作環境が出来たのも、ひとつには彼らの活躍があることに間違いはありません。よって、そのひとりである市川準監督はもっと評価されるべきでしょう。個人的に、まずはもう一度作品を観なおすことから始めたいと思います。皆さんも是非鑑賞してみてください。新しい発見がきっとあると思います。それが映画の楽しみでもあります。